雨多き日
こんにちは!
涼しい日が続き、長そでがなくては寒いくらいの渋民です。
今日はお昼ごろから雨。しとしと・・から少し雨脚が強くなってきました。
最近の庭の植物からアップしてみます。
立ち枯れアジサイが、いい感じでたくさん残っています。このままもっと枯れて、一人でドライになってゆきます。
薄いピンクの百日紅(サルスベリ)が、今年咲いてくれました。よく見かける濃いピンクも美しいですが、こちらは楚々としてまた風情があります。
拾った葉っぱ。もう少しずつ、紅葉し始めている木があります。弱った時も早くから色が付きますが、まだ匂いのする葉っぱは可愛いです。
大きな栃の木の葉っぱの穴からのぞいた、向こうの紅葉。
雨上がり、晴れた空が映った水たまり。
秋晴れの空の美しさは、なんともいえず清々しく、心地よいものですね。胸のすくといった表現がぴったりです。
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最近は、人の死(自殺)や殺人のニュースを多く目や耳にします。それぞれの方がいろいろな悩みや事情で亡くなられる・・。そして悪人はわずかな金のため、欲情のため、いとも簡単に殺してしまう。
昔はそんな輩は「地獄へ落ちる」と教えて、悪いことをしないよう子供のころから躾けたものですが、そんなことはもう、おとぎ話のように思われているのでしょう。
しかし、私も地獄入ったことがないのでよくはわかりませんが・・、無間地獄というものがあるともいいます。
特に悪いことをした人は、死んでも成仏できず、ずっと同じ罰を受け続けるというものです。これもまた、おとぎ話かもしれません。(でも私には何となくですが、あるように感じるのです)
奪われたいのちは、いったん神や仏の領域に行き、そこで癒され、少しずつ若くなってある年齢でとまり、またほかの命のお世話をする、という話も聞いたことがあります。
作り話かもしれませんが、そうだといいな・・・と思います。
里では、91歳で亡くなった女性や、46歳で急死した女性の写真をある部屋に置いて、いつでも会えるようにしています。46歳で逝ったRさんは看護師で、子供のころから、また結婚後も色々と苦労されてきました。
里にきて「命を救われ」、とても明るくなって皆に好かれ、生き生きと暮らしていましたが、またお子さんの問題や忙しい病棟に代わってからの労働が大変だったこともあってか、くも膜下出血を起こし、あっけなく亡くなってしまいました。
7月でした。
そして次の年、7月に立派なクロアゲハが飛んできました。
それから毎年、7月になると同じように飛んでくるのです。
どこでふ化したのか、どこへ飛んでゆくのか。
しかし16年目の今年は、なぜか見たような見ないような・・・そんなことは初めてでしたが。
ひらひらとクロアゲハが来ると、「あ、Rさんだ」と思うようになっていました。
まったくこじつけですけれども、何となくそう感じると、嬉しくなって「来てくれてありがとう!」と声をかけたくなります。
アゲハは一通り庭をめぐると、しばらくしていなくなってしまうのでした。
生きとし生けるものはみな、いつか必ず「死」を迎えますが、物理的には実態がなくなっても、実は「死」というものはなくて、元に還るだけ。微細な粒子になって命の源に還り、いつか何ものかとして生まれる。
(生まれないのが「無間地獄」にいる人でしょうか)
ちょっと話が反れそうですので、今日はこの辺で。
温度差の激しいこの頃です、どうぞお気をつけてお過ごしください。 合掌
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