東北大震災(3.11)10年目の日

大分ご無沙汰していました。2月は人手がなく、何かと忙しい月でした。

小冊子3月号を発行し、少しほっとしましたが、今日はもうあの大震災の10年目。

その日からずっと、毎月11日は「知足の日」として、間食などせず夕食は一汁一菜の簡素な食事で静かに身を慎む暮らしをしてきました。


今日は午後2時46分にサイレンが鳴り、夫々が黙祷。お花のない季節ですが、せめてもの百合や菊の花をお供えし、一汁一菜をおあげし、(朝、夕拝は勿論)夕食前にも読経して多くの御霊を拝ませていただきます。

これを書いています私の従妹の息子さんも、閖上の海にさらわれ、後に母親が遺体が持っていた携帯電話で確認したと聞いています。まだお若い方でした。

また友人・知人には行方不明者がいますし、大抵の方の家族や親戚、友人・知人が多く亡くなられています。


日本ではこれまで各地で災害があり、多くの方が命を落とされています。残された人の悲しみは言葉では表現できません。ただただ拝み続けるしかない。

3人おられる若い僧侶のうち、一人は必ず托鉢を行っているのですが、今は小原宗鑑さんが県外に出ています。昨日の日刊スポーツ新聞に、取材されたものが掲載されていましたが、本当に伝えたいことは、なかなか伝わりにくいものです。

ただ日々感謝し、懺悔し、行を続けてゆく、ということのみを僧侶の皆さんは己に課していくことでしょう。それ自体が礼拝となり、御霊を拝むことであり、天地に生きることになるように。



気温は大分上がってきましたが、体感温度はまだまだ寒く、ストーブも暖かい服もそのままです。雪は時々ちらつく程度。いつもよりは早く温かくなりそうです。



小冊子に掲載したものから写真をご紹介していますが、こんな岩手山もありました。

これは、朝4時半頃のもので、月が山にかかっていたのです。モノクロですみません。



盛岡市内の湖で撮ったもの。そろそろ白鳥たちは北へ帰り始めています。


最後は宗鑑さんが10年前、大槌で撮った一枚。


(悼む旅の最初は宮古でしたが)何も言葉が出ないくらいの衝撃を受けて、立ちすくんでしまったそうです。


今は大分きれいになってきましたが、震災の日から被災された方々の苦労は続き、色んなドラマがあったのでした。新聞やネットでよく記事を読んできましたが、子供たちは10年経ち、中高生だった子はらは就職や結婚をしたりしていますね。


今もコロナウイルスがあるように、人生何が起きるかわかりません。でも、いつも諦めず、協力し合って命を全うしたいものです。


梅や桜が咲いている地方、終わった地方もございますね。

ここはまだあとひと月先です。

今日ひと日をありがとう。あなたに、ありがとう。

                                  合掌


パパラギの里

ここは東北の町はずれ。 老若男女が共生する、学びの里です。 悩みのある方、 立ち止まって自分を見つめたい方、 坐禅などを通して心を鎮めたい方に いつでも門が開かれております。 緑に囲まれた里の 日常をお届けしていきます。

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